「障害者週間」を考える

毎年12月3日〜9日までは障害者週間だそうだ。この期間中、内閣府は、「障害や障害のある人に関する国民の関心と理解を深めるとともに、障害のある人の社会参加への意欲を高めるため、様々な行事を実施します」ということらしいが、一方で、行事予定表をみると、関連行事の大部分は東京で行われているようでもある。いろいろな団体の講演会が盛りだくさんで、せっかく広報できるいい機会なのに、結局何を訴えたいのかわからない。「毎年ルーティンで事業計画立ててない?」と思わないでもないが。
http://www8.cao.go.jp/shougai/kou-kei/h21shukan/index.html#a

さて、そんな週間の行事のなかに、「心の輪を広げる体験作文」の募集があるらしく、小学校部門で内閣総理大臣賞を受賞した方の作文のことを、新聞のコラム欄で知った。いい話だなぁと思ったので、また思い出したいときのためにリンクを保存しておこうっと。
http://www.mmz.kantei.go.jp/jp/m-magazine/backnumber/2009/1203e.html

この作文は、義足の少女の目線でとらえた「心の輪が広がった瞬間」だが、今まで障害を理解しなかった子供が、障害を持った人と接したことで「心の輪が広がった瞬間」についても、作文の応募があるのかしら、そう願いたいものだ。いろいろな立場で問題を理解することこそが、こういうキャンペーンの意義なんじゃないかな、と思ったりした。

いろいろな立場といえば。「障害者」という漢字に「害」が入っていることについて、いろいろな意見があるのはすでに知られていることだし、最近の新聞にも、この問題と向き合っている人が紹介されていた。実際に、ソフトウェアの文字変換でも、敢えて「障がい者」と変換されるように工夫している会社もあるとか。新聞記事では、話はここで終わっていた。

でも、「障がい者」と「害」の利用を避ければいいのかというと、事はそんな単純ではないみたいだ。目が見えない友人曰く、パソコンを使うときに用いる画面表示情報の音声読みあげシステム「スクリーン・リーダー」を使うと、「障がい者」は「さわりがいしゃ」と読み上げられてしまい、かえって不便だとか。だったら、ひらがな化するよりも「碍」を使うほうがいいのかしら? いずれ、小手先の漢字使いにこだわらなくとも、そしてわざわざキャンペーンをはらなくても、きちんと他人を慮ることができる世の中になりますように。