ヨーロッパとイスラーム〜共生は可能か〜(内藤正典 、著)

ヨーロッパとイスラーム―共生は可能か (岩波新書)

ヨーロッパとイスラーム―共生は可能か (岩波新書)


ロンドンあたりに降り立つと、ターバンをまいたシーク教徒やサリーを巻いたインド人が多すぎて目を疑う。フランスは以外にアフリカ大陸から渡ってきた人々が目立つし、ドイツにはリトル・イスタンブルができるくらい大量のトルコ人を率先して労働者として受け入れている。なのに、なぜムスリムイスラーム)の移民は、受け入れ先のヨーロッパ諸国に溶け込めないのか。トルコ人移民が多いドイツ、同じくトルコやインドネシアからの移民が多いオランダ、そして、旧植民地だったらモロッコやアルジェリアなど、マグレブムスリムを多く抱えるフランスという実例で学びながら読み解いていこうという本。

フランスについて学ぶ時に出てくる単語"laïcité(ライシテ)"、つまり世俗主義についてうまく説明されていた。アッラーのみが絶対の神であり、神の代理人である人間が取り仕切るような、教会的仕組みを持たないイスラームでは、世俗主義が意味する「国家と教会の分離」がそもそも不可能、というわけなのだ。

また、イスラームは信仰だけではなりたたず、定められた行動規範(to doとnot to doの両方)を実践する必要があるので、どうしても公的空間でスカーフをかぶるなどの行動をすることになる。この頭髪を覆うスカーフは、小さな十字架やファティマの手、それにダビデの星と違って、目立つ。この、これみよがしな感じ"ostensibilité"こそが、フランス社会が忌み嫌うものだ。こうして、ムスリムはなかなかヨーロッパ社会になじめず、溝は深まり、とうとう「宗教スカーフ禁止法」などができることになったのだろう。読めば読むほど、欧米サイド(日本も含む)の間違ったイスラーム理解がわかる。ビン・ラディンを探し当てて殺せば平和が取り戻せるって? 問題はそう生易しくないのだ。


この論文、あとで読んでみよう。
「現代フランス社会における『ライシテ(政教分離)』概念の変容―イスラム子女のスカーフ問題をめぐって」[PDF 1,799kb]
執筆者 満足圭江氏(東洋哲学研究所ヨーロッパ・センター研究員)
http://www.totetu.org/index.php?id=594