きらめく拍手の音


Glittering Hands、2014年、韓国、イギル・ボラ監督

監督であるイギル・ボラが自らの家族を撮影したドキュメンタリー。

彼女の家は4人家族で、両親は聾者だ。弟と彼女は健常者で家族の「耳」として、小さいころから両親のサポートにまわった。両親から難しい電話での交渉等を任されたりした結果、二人の子供は他の子たちよりもはやく成長し、家を出た…。

監督の両親が明るくてポジティブに生きていることは、冒頭部分ですぐにわかった。常々思っていたが、聾者の人って、伝えるパワーをすごく感じるというか、表情とか豊かなのだ。もちろん、二人とも経済危機の影響で失業したり、耳が聞こえないことで子供の異変に気づけない分集中して子育てしているというところで苦労しているが、二人とも無事子供を外の世界に送り出して、二人でラブラブの暮らしを送っている。ちょっと後半は冗長になってきて内容に飽きたりして、しかも、彼女が撮影者として常にカメラを回す立場にいると思いきやそうでないアングルで被写体として登場するシーンがあって、結局この監督が何をやりたかったのか、結論がよくわからなくなった。「聴こえる世界と聴こえない世界は並行して時にぶつかるけど、どちらの世界もきらめいているんだ」ということが結論みたい。ポジティブな感じだけは伝わってきたのだけれども。タイトルにもなっている「きらめく」ハンドサインに目を付けたところはすごくいいなぁと思った。この人なら、続編でもっと進化版の作品が作れるのではないかしら。

音が聴こえない分、彼らはいい意味でも悪い意味でもノイズを出す。映画の中でも、ドアの開け閉めがうるさいと階下の人に怒られた話が出てきたが、自分たちが気にならないから…という感じみたい。カラオケとかはともかく、二人が食卓のものをとってもおいしそうに食べるのに感銘を受けた。

ろうあの両親と健常者の子供が出てくる映画として、フランス映画「エール」を思い出した。この映画では弟もろうあ者で、主人公の女の子がすべての家族のコミュニケーション役として立ち回っていたんだった。この映画の登場人物も、底抜けにあかるかったな。もっとも、こちらの映画はあくまでもフィクションだったけれどもね。

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