- 作者: 冲方丁
- 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
- 発売日: 2009/12/01
- メディア: 単行本
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本の中の渋川春海は、賢人なのにそれをひけらかさず、(あるいはそのことに自ら気が付いていない、と理解するのが正しいかな)、誠実で真面目、でも夢中になると集中しすぎてしまうきらいがあるちょっと変わった人物として描かれている。
お勤めの碁(上覧碁というらしいに嫌気がさし、算術の世界にひかれている春海に与えられた役目は、「北極出地」、つまり北極星の観測旅行であった。観測隊の隊長である算術と天文歴学に通じた建部昌明と、医者であり算術と占術に優れた副隊長伊藤重孝という二名の優秀な師に大いに刺激を得た春海は、天文観測機器となる渾天儀や天球儀などをつくるなどしたのち、暦の改定に取り掛かる。
数学・暦法を池田昌意(まさおき)に、天文暦学を岡野井玄貞・松田順承に、朱子学や垂加神道を山崎闇斎に、土御門神道を土御門泰福に師事するとともに、(実話かどうかはともかく)、数学者にして和算の祖となった関孝和とも交流を得ながら、当時の日本で信じられていた宣明暦から、授時暦をベースに、緯度の差があることを突き止めるとともに、地球の軌道が楕円であることによる誤差を特定し、「貞享暦」を編み出すとともに、採用されるに至った、という。ここに至るまでのストーリーを書いたのが、この本だ。
今気軽にカレンダーを手に入れて予定管理をしているが、まさかこの暦に命を懸けたドラマがあったとは、知らなかった。そして、暦、一念は365日であるということは、天地を正確に知り、算術の結果編み出された日数だったのだね。この話を知っていたら、江戸時代の歴史の学習がただの暗記ではなくもっと楽しかっただろうに。
そういえばもう一つの衝撃。それは、この話に出てくる保科正之のことだ。春海を認め、改暦を陰で支えた、有能な政治家だったという。水戸藩主の徳川光圀、岡山藩主の池田光政並べた江戸初期の三名君の墓標の名前が「会津中将源君之墓」と知り、はっとした。今年所用で赴いた会津若松であまりの美味さに購入した「会津中将特別純米ひやおろし」、つまり、会津にて最高の酒を意味するということだったのかもしれない。
味わって飲むことにしよう…。