先日、プロの演奏家の三味線と歌で遊廓の民謡を聴くイベント「遊廓と民謡」に参加してきた。
イベント会場は、東京人でもなかなか行くことのない三ノ輪の新吉原エリアにある、吉原最後の料亭であり引手茶屋だった「金村」という場所だ。普段は、「桜なべ中江別館 金村」という会員制の桜鍋屋さんらしく、1F部分は、吉原芸者文化の資料館のようになっていた。
会員制でご飯をするのは流石に敷居が高いので、桜鍋を楽しむなら、こちらの本店を目指したい。
tabelog.com
今回の企画は、「実は全国各地にある多くの民謡が、遊廓について唄っている」ということで、そのつながりを遊廓専門書店「カストリ書房」の渡辺豪氏が実際に訪問した遊廓の跡地や石碑などをスライドで紹介した後、三味線の流しをされているという千鳥氏が三味線と歌で実演してくださる、という企画。渡辺氏が地図で民謡の生まれた場所
千鳥さん、2曲歌ったところで、「せめて手拍子が欲しい」というリクエストをされる。そうか、そうなんだね。お座敷で民謡を聴く際の望ましい姿勢は、そういうことなのだね。関心がないというわけでは決してなかった(というかむしろ生演奏を楽しみにしていたのだ)、そう見えてしまっただろうか。申し訳ないことをした。千鳥さん、大変お美しい声とハキハキした雰囲気で、人気があるということが容易に想像できる。
セットリスト
鍬ケ崎浜唄
花街として栄えたところがこの岩手県宮古市の鍬ヶ崎であり、寛永年間から昭和30年代までの約300年も続いたそう。この曲は「江戸じゃ吉原 南部じゃ宮古ヨードッコイショ」で始まるので、非常にわかりやすい。こちらのデータベースにも記録がある。
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新庄節
山形県の新庄市には、かつて万場町というところに遊廓があったそう。地図を見ると、鍬ヶ崎と違ってだいぶ山奥に位置している。実際にそのエリアを辿った人のブログを拝見したが、わかりやすい遺構がある、というわけでもなさそうだが、遊廓案内のwebサイトによれば "新庄町字万場町、馬場遊廓とあり、貸座敷7軒、娼妓28人。千年楼・常盤楼・立花楼・伊勢屋・松川楼・恵比良楼"と書かれた本が残っているとのこと。新庄節の3番の歌詞を見ると「なるほど」と合点がいく。
🎵猿羽根山越え 舟形越えて
逢いに来たぞや 万場町に
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会津磐梯山
民謡クルセイダーズと八木節の合いの手で知ったこの曲も、深掘りすると遊廓が織り込まれていた! これがこの日の一番の衝撃であった。いかに私がちゃんと歌詞を聴いていないか、ということではないか。
🎵東山から
日日の便り
行かざなるまい
エーマタ顔見せに
この「東山」は「会津の奥座敷」とも呼ばれる温泉町であり、江戸期から東山芸妓の文化が栄えていたとか。今も芸妓によるイベントなども行われているらしく、これは温泉旅行の目的地として行ってみたい!
白虎隊の町【会津東山温泉観光協会】公式HP 福島県会津若松市
余談だが、この日会場にこでらんに〜の笛をご担当されているミカド香奈子氏らしき方が観客として参加しており、美しいお声で涼やかに合いの手を入れていらした。「いつもみてます」って声かければよかったけれど、私のファン歴が浅すぎるのでそれはまたいつか。
NHK福島放送局による、「なぜ会津磐梯山には、小原庄助という謎の人物が朝寝と朝酒と朝風呂の挙句財産無くしたことが謳われているのか」ってほんとああーもっともだって感じの話に丁寧に向き合っているブログもぜひご参考に。
www.nhk.or.jp
三国節
江戸時代より北前船の寄港地として繁栄した三国湊のことが、三国節に歌い込まれている。
...遊廓匂わせ系歌詞を唄っているものがなかなか見つけられないので、「日本民謡集」という本で歌詞をチェックすると、まず「新兵衛二人に小女郎は一人 どうせ一人は浪の上」「酒は酒屋で 濃茶は茶屋で 三国小女郎は松ケ下」「三国出村の 女郎衆のかみは 船頭さんには錨綱」とまあ出てくる出てくる、遊廓
の香り。ちなみに最も品格の高い遊女のことを三国では「花魁」ではなく「小女郎:と呼ばれていたとか。遊廓は、この歌の歌詞に謳われている「松ケ下遊郭」、そして「滝谷出村遊郭」があり、滝谷出村遊郭には俳人として活躍した遊女、哥川がいたとか。九州大学の学術情報リポジトリに「三国の遊女・哥川の周辺」というのがあったので併せて読んでみると面白そうだ。
昔ながらの街並みも魅力的。
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下津井節
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岡山県の倉敷市にある下津井港も北前船の寄港地としてかつて栄えたそうで、花街もあったそうだ。これは歌詞がどうこうというより、よそのエリア(瀬戸内海や日本海沿岸などの各地)にあるいろいろな歌をアレンジし、お座敷なんかで披露していたという。ただしこの下津井節、12番まで歌詞があるらしいのだが、そのリストはうまく見つけられなかった。
日本遺産・北前船情報 | むかし下津井回船問屋
島原の子守唄
長崎県島原市の口之津港は、石炭輸出のための港として江戸時代から栄えたそうで、「おこんご遊廓」というのもあったらしい。
jigemon.com
その後、明治から大正にかけて、島原、天草地方の貧しい農家や漁村の娘たちが口之津港から石炭船に隠されてアジア諸国に売られていった、というかなり悲しい歴史があったらしい。
ながさきwebマガジンより歌詞を添付してみる。なんとも切ないな。
れんじ日がさしゃ
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吉原の朝の風景を描いた端唄ということで、「れんじ」は窓に取り付けた格子のこと、「日がさしゃ」=日がさせば、ということらしい。
コンテンツが大変盛りだくさんだったため、演目をすべてカバーできず、「三十石船舟唄」「千住節」「お江戸日本橋」「東雲節」は演奏されなかったのは残念だったが、このイベントおかげで民謡に新たな視点を持つことができた。良いイベントでした。また続編などあると嬉しい限りだ。
吉原の歴史から現在までの歴史は、こちらの動画で学んだ。
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