クロッシング・ザ・ブリッジ 〜サウンド オブ イスタンブール〜


(2005年、トルコ・ドイツ映画、ファティ・アキン監督、Crossing the Bridge: The Sound of Istanbul)
ヨーロッパとアジアのはざまの町、イスタンブール。ここのベイオール地区を拠点に、トルコ音楽の魅力を探るべくやってきたのは、有名らしいバンド、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンのベーシストAlexander Hacke(アレキサンダー・ハッケ)。彼を起点にいろいろな人が登場するロードムービー。映画のエンドロールにまで音楽的要素が満ち溢れていて、目が離せない。
この音楽ロードムービーのベースには、Double MoonとKalanという2レーベルの存在がある。確かに、そうなんだろう。現に私が持っているトルコのCDは8割がダブルムーンのものだ。私が認識しているあたりでは、Baba Zula(ババズーラ)やMercan Dede(メルジャン・デデ)、Sezen Aksu(セゼン・アクス)あたり。セゼンは、若手から大御所女性歌手Muzeyyen Senar(ミュゼィイェン・セナール)にまで尊敬されていて、改めてその存在感を認識した。歌唱力も、伝統と現代の間をいくバランスも卓越したものがある。メルジャンはネイを使ったスーフィー音楽を電子楽器とともに表現する人で、来日した時ライブでみたなぁ。髪型が特殊で記憶していた。
印象に残ったのは、ジプシー系の音楽を演奏するSelim Sesler(セリム・セスレル)や、ジプシーの音楽を発掘してそれを発表するカナダ?女性Brenna MacCrimmon(ブレンナ・マクリモン)。彼女のセンスには魅力を感じたが、歌唱力にはっとさせられたのは、クルド系のAynur(アイヌール)。彼女を軸に、トルコの対クルド政策なども語られる。なんでも、クルド語やクルド音楽を禁止されたりしていた時期があったらしい。仏語や英語、独語はよいのに…なかなかアグレッシブなことをやっていた時期もあったものだ。彼女の声は独特の響きで印象に残る。
その他もアラベスク(移民音楽とサナートの混合)の名手Orhan Gencebay(オルハン・ゲンジェバイ)やサナートの創始者ともいわれるMuzeyyen Senarを取り上げているあたりは、トルコ音楽界をできるだけ網羅しようという心意気を感じる。実際、Ceza(ジェザ)のメンバーだったか、ゼキ・ミュレン(というサナートの名手)からピンクフロイドまで聴いたと語っていたが、その幅の広さが、トルコの音楽シーンを複雑で広い選択肢を持つものにしているのではないだろうか。
気になったところでは、トルコのエミネム?ともいえるラッパーDuman(デュマン)。いやこのラップはすごい。あとは、往年のロッカーErkin Koray(エルキン・コライ)も、フェスでの人気がすごい。ふと思ったのだが、このデュマンのすごさは日本のラッパーSOUL'd OUTに、そして、往年のロッカーは、矢沢永吉さんあたりを彷彿とさせないだろうか。民謡とポップスの融合形も、たとえば元ちとせさんのように、たくさんみることができるし。つまり、トルコの音楽シーンの魅力もさることながら、日本だってその多様性という観点では、負けていないのではないか、などと思った。
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ちなみに、今トルコ語をちょっとやっている。この映画、勉強を始めてからはじめてみるトルコ映画なので、どれだけわかるかなぁと思って観ていたら、ほぼわからずじまいであった。語学上達の道のりは厳しい。唯一、トルコの変拍子(bir/iki/üç bir/iki)を説明する際の数だけはわかった。あとは監督の名前Fatih Akınのカタカナ表記は、実際には「アキン」じゃなく「アクン」なんだなぁということも。