ナイロビの蜂


フェルナンド・メイレレス監督、The Constant Gardener、2005年、英・独・米・中

英国の外交官ジャスティン・クエイルは上司の代理で講演をしたところで、英国の外交政策について質問をして激しくなじってくる女性がいた。それが妻のテッサだ。愛し合う二人は、ジャスティンのケニア勤務に伴い、結婚することになった。(ただしプロポーズはテッサから。)
「ママ・テッサ」と呼ばれて地元で親しまれるテッサは、妊婦となってからもアクティブに働いていた。

ところがある日、テッサは殺されてしまう。しかも、医師のアーノルドとともに。
ジャスティンは、妻とアーノルドの関係を少し疑いつつも、彼らが死んだ理由について調査をはじめる。すると、実は妻がひょんなことから製薬会社と政府の癒着と陰謀をつかんでいたことを知るのだ。妻は、庭の雑草のことしか考えていない優しい夫を守るために、敢えて彼にそのことを告げないまま、大きな陰謀を暴こうとして殺された。その意思を継ぐべく、ジャスティンは動き始めるのだった。

テッサが3人のケニア人を助けようとして、「援助をすべき人は大勢いるのだ」とジャスティンにその行為を止められるシーンがある。のちにジャスティンが現地の女の子を助けようとして、現地のケニア人から止められるシーンで、ジャスティンの心が変化したことがわかる。そして、映画を見直すと、ジャスティンには、テッサの大胆な行動に気が付けるチャンスがいくらでもあったことに気が付く。「ナイロビの蜂」は映画の邦題としてよいセンスだと思うのだが、原題のThe Constant Gardenerもまた、赴任地の惨状を見ようとせず、自分の庭の整備だけに夢中になるジャスティンの外交官としての姿勢をうまく説明したタイトルだったのだなぁ。
レイチェル・ワイズはこの映画で助演女優賞をとったらしいが、ジャスティンを演じたレイフ・ファインズの、公務員としての顔から、テッサを失った後の引きしまった表情の変化も素晴らしいと思った。

映画の後半、ジャスティンが色々な人から追われ、警告がてら暴力をふるわれるまでのシーンは映画として秀逸だ。「スパイってこうやって人を追うんだな」ってくらいさりげない。「こうやって人を脅して、その音を消すんだな」なんて感心してしまう。