新春浅草歌舞伎@浅草公会堂(第二部:傾城反魂香 土佐将監閑居の場、連獅子)

前回行ったのは、2015年の新春だったか。「新春浅草歌舞伎」は、若手だけで歌舞伎を演じて浅草の新春を盛り上げる行事だと勝手に認識している。
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身内が浅草歌舞伎の方を久々にみたいというので、こちらの公演につきあうことにした。第二部は、「傾城反魂香 土佐将監閑居の場」と「連獅子」。最近は歌舞伎座で観劇することが多かったので、浅草公会堂の親しみやすい外観が逆に新鮮にみえる。歌舞伎座は、客席に微妙に傾斜がついていて、後ろの方の席でもみやすいようになっているのだが、浅草公会堂の座席はフラットになっている。これはこれで懐かしい。

さて、いかに思ったままの感想を記録しておこう。

「傾城反魂香 土佐将監閑居の場」
土佐派の絵師である又平(歌昇)とおとく(種之助)が、師匠に土佐の苗字をいただくために師匠の土佐光信(吉之丞)の元を訪れるが、まだ技能が至らないという理由で断られる。世を儚んだ又平夫婦が自害する前に手水鉢に自画像を描くと、その絵にあるトリックが起こって、又平の技能は無事認められる、というハッピーエンド。この又平が吃音だという設定で、その話し方を、妻のおとくが代わりに上手に話してカバーするということらしい。吃音ってこんなに虐げられていたのか、昔は。そしてこのおとくの役は「歌舞伎三女房」ということだった。
狩野派の虎が絵から抜け出る、というのが物語の始まりなので、てっきり手水鉢の自画像も抜け出るのかと思った...そんなわけないか。又平の弟弟子である修理乃助(莟玉)が師匠に認められていることを喜びすぎず、兄弟子に申し訳なさそうなさまがよく現れていた。又平、おとく夫妻の願いが叶った時の二人の顔が本当に明るくなって、こちらもちょっとほっとして涙が出た。又平が紋付袴を舞台上で着替えるの、手際がよくて感心した。当たり前だろうが、着慣れているんだなぁ。

「連獅子」
これは、中村勘九郎七之助コンビが平成中村座か何かで頭を揃えるのに九郎していたのを覚えていたので、なんとなくストーリーもわかっていたし期待が大きかった。長唄と親子獅子(松也&莟玉)の毛振り、そしてそもそもの舞台の華やかさは期待どおりだったが、宗論(浄土宗と法華宗の言い争い)の場面が急に狂言っぽくてとぼけた感じで楽しかった。ちょっと前に夫婦役だった歌昇と種之助の掛け合いはまさに息ぴったり。というかこの二人、もとい兄弟なんだった。宗論の、知らない間に相手の宗教を褒めそうになるシーンなどをみると狂言っぽいけれども微妙に狂言師とは発声方法が違うんだなぁと思った。

今日みて感じたこと。まずは、本当に舞台に出ている面々が本当に若いということ。歌舞伎座の重鎮たちはお年を召している方も多く、役者によっては声の通りが悪いなぁと感じることがあるが、この日の舞台の面々は声がよく通っていた。もちろん若さゆえのミスもあったりして、今回はじめて「あれ、ここ間違えた?」と思うようなところを発見した。これから公演の後半になるにつれ、どんどん洗練されていくんだろうな。浄瑠璃の三味線は普通に素晴らしく聞こえたが、義太夫の方が竹本葵太夫のようなベテランだったことも大きいのだろうか。長唄は全体的に初々しくみえた(実際はそんなことはないと思うが)、一人、体格が大きくて綺麗な声の若い唄の人が印象に残った。

歌舞伎座でみるベテランによる普段の歌舞伎公演ではどうしても目立ちにくい若手役者がいい舞台をみせてくれて、十分楽しめた。このような素晴らしい企画、これからも続くといいし、私も若手の成長をみにまた来たいと思う。

なお、公演後の浅草ご飯はこちらにて。