生粋の東京人でも西をベースにしている人間にはちょっとなじみの薄い東横線沿線にある「めぐろパーシモンホール」というところでのライブにいってきた。
Stocheloのライブに行くのはこれで二度目。いわゆる"The Rosenberg Trio"とはベーシストもリズムギターも違う。リズムギターのMozes Rosenberg(モゼス・ローゼンバーグ)というのは末の弟で、前回も来日していたのと同一、一方のベーシスト、Joel Locher(ジョエル・ロッヒャー)はたぶん急に来日が決まった人なのではないか。バイオリンのTim Kliphuis含めて、オランダ代表グループでの来日だったはずが、ベースがスイス出身の方に変更になったことで崩れた感じだ。会場は大混雑、私は開演ギリギリに到着したが、どうやら開場と同時にロビーでライブなどやっていたみたい。前座ではなくロビーコンサートというのは、マヌーシュ・スウィング界の文化のようなものかな? いい試みだと思う。
驚いたのは、男性用お手洗いに長蛇の列ができていたこと。それってすなわち、想定よりも男性客が多かったということでしょ? このジャンルの客層を物語っているように思えた。
ライブは、まずトリオで数曲流してから、ティム・クリップハウスの登場。数年前の王子ホールライブとの違いは、スクリーンで演奏者の手元を映すという試みだろうか。きっとギターを自ら演奏する方で、席が前方でない人たちにはうれしい仕掛けだと思った。
マヌーシュ・ジャズって、2ギター×ベースの編成で聴いているときは、それはそれで納得感があるけれど、バイオリンが入るとやはり数段魅力的になる。ジャンゴとグラッペリの組み合わせを一度見てみたかった。
今回は、山中千尋さんとのピアノとのコラボも何曲か耳にしたことから、「究極のマヌーシュ・ジャズの演奏ってなんだろう…」と改めていろいろ考えた。きっと、適度な力の抜け具合がその要なんだろうな、と思った。一見すると技巧的なのだけれども、抑制がきいている感じ。無理がない自然体な演奏。この音楽は超絶技巧だけが全面に出るのはダメで、それを前提に力を抜いた演奏をすることが大事なのだ。それが彼らの作り出す洒脱感につながっていると思う。(山中さんが自らのトリオの心持ちで演奏をしてしまうと、調和の黄金バランスが崩れてしまうような印象を持ったのは私だけだろうか。)
私がこのジャンルが大好きになった当初、Pent-up Houseという曲が一番のお気に入りだった。もちろんヴァイオリンが入ったバージョンだ。今回、ライブの終盤でこの曲が出てきた時に、改めてこの曲とこの組み合わせが他に出せないベストマッチであることを思い知って、涙が出た。
Stocheloのいい動画がないので、変わりにビレリとディディエ・ロックウッドのPent-up Houseを。
musicircusに文章を寄せるか否か。今迷っているのでとりあえずここにメモ。私は好きな人には近寄れないので、当然ストーケロのサイン会?などには参加せず帰ってきたのだが、残念なことにセットリストなどもわからないままだ。どこかに掲載されるだろうか。