The Walt Disney Family Museum@Presidio of San Francisco


ウォルト・ディズニーといえば、言わずと知れた「ミッキーマウスの生みの親」。彼がどのような幼少時代を過ごし、なぜミッキーマウスやディズニーの世界が生まれたのかを、家族の歩みとともに綴る美術館がある。それがこの、ウォルト・ディズニー・ファミリー・ミュージアムThe Walt Disney Family Museumだ。


入場料は25ドル。アプリをDLするか、受付で自分のIDやクレジッドカードと引き換えに音声ガイドを借りて中へ。

まずは生まれたところから。第一次世界大戦で年齢を詐称してまで赤十字の救援隊としてパリにわたった話、コメディが好きで同級生と組んで漫才コンビをやっていた、というのは意外だった。でもそんな彼の性格も、のちにコミカルなアニメーションを制作した背景にあったのかもしれない。


就職先でアニメーションの技術を身につけて、「アリスの不思議の国」を制作。このアニメをもってハリウッドに売り込みをかけて、見事成功。実写とアニメが融合したこの作品だが、契約の際にある女の子を起用することが条件だったため、この女の子をハリウッドの近隣に住まうように親を説得したとか。やはり物事を成功させる人は、情熱といい意味でのしつこさが違うな…と感じた瞬間。

その後、「幸せウサギのオズワルド」というキャラクターをつくって、これまた大ヒットするものの、途中でその版権を中間業者に奪われてしまう。ここでウォルトがすごいのが、みすみすと買収されずに、人気キャラクターを譲ってしまったことではないか。優秀なスタッフなどともども失うなか、ひねり出したのがミッキーマウスの原型。モーティマーという名前だったのが奥様に不評で、ミッキーマウスという名前になったとか。

アニメーションはどんどん進化していって、当時最先端のトーキーを使ったり、(そしてキャラクターたちに音楽を奏でさせたり)、遠近感を出す工夫をしてみたり、登場人物の表情で善人か悪人かがわかるようになっていたり、ウォルトのアイデアがどんどん試されているのがこの美術館の展示でよくわかった。また、キャラクターをつくるとすぐにグッズをたくさんつくってその売り上げを資金源にするあたり、事業家としても素晴らしい才能があったのだな。


戦時中、ポーイングの横にスタジオがあったことから、戦争プロパガンダや兵隊向けの仕事も積極的に受けることでスタジオを存続させたという話は衝撃だった。ドナルドダックも冷静に考えれば水兵だもんな…。

さまざまな困難に立ち向かうことができたのも才能ある故なんだな、ということがよくわかった展示だった。そして家族思いな面もよく伝わった。きっと、ウォルトとそのキャラクターたちが人気になりすぎてしまったことから、ディズニー一族は自分たちファミリーとの絆を残すためにこの博物館を作ったのかもしれない。

博物館最後にある、ウォルトが亡くなった時の新聞記事のイラストが印象に残った。