第14回ユネスコ記念能に行ってみた。番組は、「葵上」、それに狂言の「因幡堂」。面白かったのは、シテ方5流(観世、金春、宝生、金剛、喜多)の女流若手能楽師が、同じ曲目を続けた上映したところかな。プログラムに法政大学能楽研究所の中司由起子氏による「能の流儀について」という紙が挟まっていた。
それによると、まず能楽師の役籍は7つありそれぞれが独立、専門化しているという。シテ方(主人公)以外は以下のとおり。
●ワキ方(高安流、福王流、下掛宝生流)
●笛方(一噌流、森田流、藤田流)
●小鼓方(幸流、幸清流、大倉流、観世流)
●大鼓方(葛野流、高安流、石井流、大倉流、観世流)
●狂言方(大蔵流、和泉流)
これら現存の各流儀には、たとえば謡本の文句や、節、舞の区切り、所作の名称、作法…囃子方であれば、打つ音と掛け声の組み合わせや演奏の旋律が違うらしい。狂言だったら、展開や結末すら違うことがあるらしい。
今回比較ができたシテ方の流儀だが、中司氏によると以下の特徴があるらしい。
●観世流:謡本の節付表記が詳しく、繊細華麗な謡と優美な舞で、特殊演出の数が多く、洗練されている。
●宝生流:謡文句の生み字を大切にしており、装飾的な高音を謡うといった独特の謡技法があるとか。通称「謡宝生」。
●金春流:歴史が一番古い。中間音はぶいた結果謡の高低差がある結果、旋律が力強い。舞も勇ましい。
●金剛流:流れるような印象の舞、謡の文句に即した大胆な所作が特色。「舞金剛」。
●喜多流:江戸時代初期、能が幕府の式楽になってから成立した新しい流派。剛健でメリハリの効いた謡と舞。
せっかく解説を読んでから観たものの、結果…ものすごくわかるわけでもなかった。こういう、流儀や芸風が異なる演者の競演を「立合」というらしいのだが、「宝生はこの位置から扇をひらいて舞うんだな」とかそういう違いはわかったのだけれども、ではブラインドテストというか、この立合公演のプログラムをみないで流派を言い当てられるかといえば、ちょっと厳しい。謡の節回しの差なんてますますわからない。どこかの流派が自分の芯として頭に入っていると、わかるのかな。お能の世界を理解するにはまだまだ時間がかかりそうだ。
「葵上」を観た感想は…病床に臥せった葵上が、なんと出てこないところが印象的というか斬新だと思った。舞台に衣装を置いておくことで「物の怪に憑かれて病床に伏せた葵上」を表現しているのだ。シテは六条御息所の生霊で、これをなだめる祈祷師がワキで、上演タイトルが「葵上」だというのに葵上は演者ではない、という。そしてもうひとつの学びは、金春流や他の流儀では、「枕ノ段」と呼ぶことも知った。枕元で怒る怨霊と祈祷師、巫女の戦いだもの、そういうタイトルにした人の気持ちもよくわかる。
…とてもじゃないが、能を解する人の感想とは程遠いな…。