巡る歳の祝い 第二十二回 鵜澤久の会「鷺」@宝生能楽堂

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以前鑑賞したお能の会のメモ。

神歌(かみうた)
脳の中でも一番古く、翁と千歳と地謡だけによる素謡。

能「鷺」
鷺乱という、白一色の装束を着て舞う舞は特別なものだった。その鷺が、帝に敬意を示す姿勢をとったので、爵位をもらった、という話らしい。

仕舞「実盛」
この時は、観世流地謡に合わせて金春流の櫻間金記氏が舞ったので、異流共演だったそうな。

狂言「素袍落(すおうおとし)」
山本東次郎が太郎冠者を務めていた。伊勢参宮を思い立った主人は、同行者として伯父を呼び出そうと太郎冠者を使いに出すが、そのお使いが伯父に振る舞われた酒で酔っ払い粗相する。素袍というのは装束のことで、それを落とすからこの題名なのだろうか。酔っ払った演技が最高だった。こちらもにやにやしてしまうレベル。

一調「景清」
一調は、脳の一部分を一つの打楽器と一人の謡い手によって行うことをいうらしい。ストーリーは難しすぎた。

能「弱法師(よろぼし)」
高安通俊は、自分の子供を捨てる。捨てられた子、俊徳丸は悲しみのあまり盲目となり、物乞いとして生きている。この俊徳丸のあだ名が「弱法師」であった。ある日、難波の海を心の目で眺めていた俊徳丸だが、そこにたまたま居合わせた通俊は、俊徳丸が我が子だと気がつき、人目のつかぬ時間に連れ帰る...という話。

正直、どう感想を書いていいかわからない。というかまったく理解していないため、鑑賞方法も感想の勘所もわからないのだ。爆睡した演目もある。なので、鑑賞メモにとどめておきたい。
今回は、鵜澤久さんの節目となる会ということでパンフレットも豪華だったのだが、言葉を寄せた能楽師の言葉が、主役を褒めすぎることなくぴりっとしていた。「老後の初心を求めよ」というメッセージなのだろうが、芸事の厳しさが垣間見られるような文章だった。

鑑賞を続けたらいつかもう少し何かがみえてくるとよいのだが。