- 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
- 発売日: 2006/09/30
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1962年、仏・伊、Jacques Rosier監督
タイトルだけみたら、てっきりフィリピーヌという名前の女の子が別れでも告げられそうな雰囲気だが、どうやらそうではないらしい。
フィリピーヌ(遊び)をやる(Faire Philippine)」というのがフランスにはあるそうだ。これは、2人の人間が、たとえば本来ひとつの殻の中に一つしか入っていない実の中に、双子のアーモンドやノワゼット(ハシバミ)の実を見つけた時に、その翌日、一方が他方に向かって「Bonjour Philippine」と最初に言ったほうが勝ち、という遊び、らしい。
双子のように仲良しなリリアーヌとジュリエットという、"comme les amandes philippines"(=アマンド・フィリピーヌのように仲良しな)二人の女の子が、ミッシェルというテレビ局のケーブル扱いをやっている青年と出会い、恋をして、仲良しながらも互いに嫉妬をしながら、彼に近づいていく。そして、ひょんなことからコルシカ島へ行って…、さて、ミッシェルと二人の仲はどうなる…?というような話。
実際に本編の中でも、リリアーヌとジュリエットは、ミシェルをどちらが取るか決めるべく、「フィリピーヌ遊び」をするシーンが出てくる。このフィリピーヌ遊びのことを知ると、タイトルの付け方が秀逸だ、ということがわかる。
▲絶賛フィリピーヌ遊び中。
ミッシェルがカッコイイかはわからないが、リリアーヌもジュリエットも基本、カワイイ。
▲向かって左がリリアーヌ、右がジュリエット。
表情も、ファッションも、喋り方なんて最高。でもね、彼女たちの空っぽ感、浮遊感にどうしてもついていけない自分がいる。自分が四六時中同じ人と一緒に居続けるのが苦手なせいか、彼女たちが四六時中一緒にいて情報交換をして、ミッシェルをめぐる駆け引きを続け、ミッシェルを譲ったり譲られたり、秘密をもらしたりもらさなかったり、かと思うと10日後に秘密をもらす…そんな二人の関係がまどろっこしすぎて理解できない。ミシェルの半端な軽さも、あまり好きではない。「リリアーヌかジュリエット、どちらかに決めよ」とイライラするし、かといって徴兵に行く前の重苦しさもなければ諦め感も感じない。軽いまま。どうせなら、自暴自棄、もっと大胆にふるまって、やけくそ感をぶつけてほしいのになぁ、なんて思うのだ。
ジャック・ロジエ監督は、きっといい短編をとる人なんじゃないかな。映画の中で何か所か、はっとするようないい空気を映し出していたのは印象的。別の映画もみてみたい。