性差(ジェンダー)の世界史@国立歴史民俗博物館

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都内からだとだいぶ遠いこの博物館にお邪魔してきた。目的はこちらの企画展。
今は何かと性別を区別する時代だが、この企画展示によると、ジェンダー区分は8世紀くらいの、律令国家の形成によって生まれた、ということらしい。実際に展示をみていると、古代社会では例えば名前の表記とか並びとかに、とくに男性を優位とするようなものはない。中世になると、女性官僚は女房として御簾にかくれているが、相変わらず女性も家長となっていたりする。この展示では、仏教の概念の浸透が女性差別観の強まりに影響している、というもの。具体的には「五障」(女性の資質や能力上、女性には達成できないと主張される五つの事柄)、「三従」(人は幼少の時には父母の命令に従い、妻となっては夫の命令に従い、老いて夫と死別して後は子供の言葉に従わねばならない、という考え方)など。(三つあったけれども、ひとつ忘れてしまった)
中世の時代は「職人歌合」など、男女問わず「職人」が描かれていたのに、近世となると、職人=男性というイメージがしっかりついてくる。女性の職人というのは特別なこと、というようなイメージが強くなったりする。そういえば、大奥なんていうのもあったなぁ。女性の数少ない職業であった髪結などは、弾圧されていた証拠なども資料として展示してあった。その弾圧をリードしていたのが男性の髪結だったりするのが面白い。田植え女性の「早乙女」というのも、本来は男性もやっていた田植え仕事を女性のものと位置付けた、いわばつくられた歴史というわけだ。

この展示では、政治の場で女性排除を決定づけたのが「明治憲法体制」だった、と説明している。家制度に縛られ、夫や家の付属品として財産の権利もなく、参政権も与えられず、これが敗戦まで続いたというわけだ。GHQの主張がなければ、女性はまだまだ虐げられていたかもしれない。

売春への切り込みも面白かった。幕府が売春を黙認していた事実や、遊女によるストライキ(雇い主の家に火をつけて、待遇の悪さを抗議)が書かれた「梅本記」なんて、すごいなぁ。遊女たちを動かすぐらいひどい雇い主だったに違いない。鉱山で働く女性の姿を示した絵図も、たくましいものがあった。鉱山で夫と一緒に働いていても、食卓のことや家の仕事もやらなければならなかったのが女性。ところが、二人人組みで働く必要がなくなったとたん、女性の身体を保護するというような名目で、女性が坑内で働くことが禁止されたのだ。

もはや現代の女性の立ち位置に慣れてしまって疑問にも思っていなかった点がたくさんあったが、歴史的にみると必ずしも性差ははじめから存在したわけではない、ということを改めて理解した良い展示であった。
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