日本辺境論(内田樹、著)

日本辺境論 (新潮新書)

日本辺境論 (新潮新書)


「日本は、地政学的に辺境にある。ゆえに、日本人の思考と行動はすでに定められた辺境性があり、そこから抜け出すことはできない」というようなことをあらゆる角度から述べた、いや、述べようとした本。何と言うかこの本自体も、著者がいう日本の辺境的性格を地で行っており、いいたいことはふんわりと伝わったかな、といった感じだ。

ただ、日本人は、他者を以て自分(あるいは日本という国)を規定する、ということに、なるほどなと思った。先日、日本文化をよく知るベルギー人が、「日本人は、なぜ他国の暮らしと日本を比較した結果、"この国はこんなところがいいね。でも、この部分では劣っており、やっぱり日本がいいね"という結論に回帰するの? "この国は暮らしやすいね"って、良さを認めるだけじゃだめなの?」と問われたが、その答えも持って生まれた辺境性に関係あるのかも。

一番興味深かったのは、日本語の特殊性について。何かと日本語は特殊だとはいうが、実はその特殊性は、漢字という「表意文字」と、かなという「表音文字」を併用する点だということ。これがどう特殊かというと、漢字とかなは脳の違う部分で処理をされているため、脳の一部が損傷を受けてもなお、脳の別部分で処理が可能ということらしいのだ。難読症という図形の認知にかかる脳の機能疾患が社会問題にならないのも、このためかもしれないし、識字率が高いのも、実は教育制度のおかげではなく、言語的特性のせいかもしれないと筆者は推測していた。こんな話があるから、言語についての興味は尽きないのだよ。