(島鳥3 days) 安来節演芸館に行ってみた!

松江空港に向かう途中に見つけたのが、この「安来節演芸館」というところだ。パンフレットによると、安来節は徳川中期に出来上がり、大正から昭和にかけて全国に広まった民謡だ。世の中では「どじょうすくいの音楽」ということで有名かもしれないが、実は女踊りがあり、さらには銭太鼓という、銭が入って音が鳴る仕様になった竹筒に紅白のふさがついた楽器を使ったお座敷芸なども有名だ。安来市といえば、庭園日本一で、横山大観のコレクションでも有名な足立美術館に行くのが定石だが、民謡が好きというだけで、限られた時間でここにくる羽目になった友人には申し訳ない気持ちでいっぱいだ。でも、一度生でこの山陰民謡をみてみたかったのだ...。

かつては数時間おきにやっていた安来節公演も、コロナの煽りをくらって実施頻度が少なくなっていた。もし朝イチの公演があれば、それを見てから足立美術館に行く、というようなことができたのに...と思うと、少し残念だったな。舞台では、前半は正調安来節を含む民謡を楽しみ、後半でどじょうすくいを含む男踊り、女踊り、そして銭太鼓を楽しむことができた。私は演目によって変わる曲を聞き分けるのが楽しかったけれども、民謡を聴き慣れていないとちょっと飽きるだろうな。コロナ前だったら安来節体験をする時間もあってもっと楽しかったと思うが。私が行った日の太鼓の演奏は、準師範のリズムの取り方がなんだか辿々しかった気もするが、さすが、歌い手さんはどの方も素晴らしかった。女性陣の中には歌って踊って銭太鼓までこなしていて、大活躍だった。「見習い」といって司会進行役で出てきた方も、かわいらしいおまぬけメイクで場を盛り上げていた。

実際の演奏はこのあたりの動画でわかるだろうか。
www.youtube.com

www.youtube.com

お隣には安来節資料館のようなものがあったので、これも少しのぞいてみた。

印象的なのはやはり、初代渡部お糸さんの話だろうか。三味線の富田徳之助(ジャベ徳さん)とともに安来節で全国巡業したそうだが、その頃はそれはそれは大流行していて、盆踊り的な感じだったようだ。一方で、世の中で流行る「正調安来節」は彼女が思っているような節回しと異なるらしく、その不満を述べるお糸さんの談話が面白かった。そんな不満があっても、初代の座は60歳くらいでさっくり引退して、あとは後進の指導にあたったとか。引退してから文化功労賞をもらう、というのも、本当の実力者という感じがしてかっこいい。出生からしてドラマチックな彼女の伝記、ぜひ読んでいただきたい。
nobunaga-oda.com

その後の後継者の話はそこまで印象に残っていないが、三代目だか四代目は後継者争いというか選考に苦労した話はインパクトあったな。確かに世襲制ではなく、かつ名人レベルになると技能の差もそこまでつかないので、属人的に後継者を決めざる得ない。だからもめるのだろう。現在の四代目お糸を務める方は平成3年に四代目を襲名しているので、もう30年もそのポジションにいるらしい。令和になってから、安来節の熟年師範(70才以上)の階級を設けたのも、もしや四代目は後進に道を譲る気がないのではないか、と穿った見方をしたくもなる。

一時は少し品のない方向性で使われていたこともある安来節が、今ここまで威厳を取り戻しているのは喜ばしいことだし、若い人たちが多く保存会に参加しているのも素晴らしいこと。でも、一人の人がずっと同じ座に君臨しているのは何か組織として心配なので、後継者のことも考え始めてほしい。現役の地位がなくても、後進育成は十分できるはずだ。それに初代のお糸さんも談話でいっていた、「歌の初めから終わりまで一貫して出る声が大切」だと。

安来節PRビデオをみると、安来節のことがよくわかる。
www.youtube.com
4月のお糸祭りにはいつか行ってみたいな。